2.依存症モデルで捉えた高齢者虐待の共依存

高齢者虐待の共依存についての理解を深めるために、依存症モデルから考えてみます。

依存症とは

依存症とは、あるものやあることに没頭してのめり込んでしまい、結果的に本人あるいは周りの人に支障が出ているのに止まらない、わかっているのにやめられない、といった状態になることです。「コントロール不全の病」といわれています。「依存」する対象は様々ですが、代表的なものに、アルコール・薬物・ギャンブル等があります。

依存症は、「家族の病」、「喪失の病」、「時間をかけて死に向かう病」、「対人関係障害」、そして「回復できる病」とも表現されます。ひとつずつ見ていき、高齢者虐待の共依存を考えてみます。

依存症モデルで捉えた高齢者虐待の共依存

① 家族の病

家族そのものが問題を抱えている、あるいは病んでいるから家族構成メンバーの一人がSOSを上げているというみ方です。依存症という問題行動は、周囲に向けてのSOSと理解します。さらに、依存症者の行動が家族全員に影響し、他の家族メンバーを巻き込んでいきます。もう一つは、世代間連鎖する病である点です。アルコール依存症の父親をもった息子は依存症になりやすいとか、娘はアルコール依存症に限らず何かしらの依存症をもった男性と結婚しやすいという話をよく耳にします。家族の病理が次の世代に受け継がれてしまうことを意味します。

高齢者虐待の共依存を「家族の病」と考えてみます。それまでの家族の長い歴史や変遷の結果として捉えることができます。家族の機能不全状態、家族の不適切なありさまの一つといえそうです。

② 喪失の病、時間をかけて死に向かう病

依存症者は依存行動を続ける限り、様々なものを喪失していきます。家族や親類、職場での信頼関係を喪失します。そして、家族や仕事を失います。さらに、健康も喪失していきます。依存対象がお酒や薬物、ニコチンといった物質の場合は、量を越せば身体がもたなくなってきます。最後には、命を失います。

高齢者虐待の共依存を「喪失の病、時間をかけて死に向かう病」と考えてみます。それまでの被虐待者と虐待者の関係性が理想的なものであったとすれば、虐待を通じてそうした関係性や、家族のよき歴史を失うことになります。一方、関係性がこじれて虐待が生じたというケースもあります。これは、家族システムの維持機能が喪失した結果と捉えることができます。人が死に向かうというよりは、家族というシステムが壊滅する行為といえるでしょう。

③ 対人関係障害

依存症者はもともと対人関係が苦手であったり、他者との対等な関係性を結ぶのが苦手な人が多いといわれています。他者からの評価ばかりが気になってしまったり、何が何でも他者に自分の意見を肯定してもらわなければならない、という強迫性を感じていたりします。自分の生活や人生を操作するのが自分でなく、他者に依存しているともいえます。社会における通常の成人の関係とは、それぞれ自立した者同士が、ほどほどに依存しあう対等な関係でしょう。

高齢者虐待の共依存を「対人関係障害」と考えてみます。人と人との間で生じる弊害と考えると、対人関係上の困りごと、不適切な対人関係の一つといえるでしょう。

④ 回復できる病

依存症は「治癒」はしないが、「回復」はできるといわれています。アルコール依存症者であってもお酒を必要としない生き方を学ぶことができます。セルフヘルプグループ等でそうした生き方を修得していきます。依存症が家族の病であれば、家族の回復も求められます。

高齢者虐待の共依存を「回復できる病」と考えてみます。関係者の支援によって、また当事者の気づきや学びによって、関係性を修正することはできると思います。回復の方法は、関係性を断つ、両者の「分離」が最も確実な支援方法です。両者がより質の高い人生や生活を送れるようにと考えたとき、援助職は大いに悩むでしょう。

暴力というコミュニケーションの連鎖

虐待は暴力行為であり、それが繰り返される場合、結果的にその暴力が、両者間のコミュニケーションの1つになってしまうことがあります。暴力をふるう人が慣れ親しんだコミュニケーションとして、被害者とつながっているという構図です。

また、長い時間をかけて、被害者から加害者へと役割転換していくという現象がみられます。例えば、虐待されて育った人が自分の家族を持つと、自分の家族構成員に暴力をふるうようになる、といった問題が指摘されています。暴力の再現性、世代を超えた連鎖ともいえる現象です。

暴力は歪んだコミュニケーションのあり様であるとともに、コントロールやパワーへの依存として捉えることもできます。コミュニケーションのあり方や、依存であるがために世代連鎖や役割交代がおこります。

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